エッセイ

新型コロナウィルスに思う(その4)~免疫力と植物の力~

免疫力の大切さ

先日、女優の岡江久美子さんが新型コロナウィルスの感染による肺炎で亡くなられました。乳がんの術後で、治療による免疫力が低下したことが関係したとの報道でした。改めて免疫力の大切さを感じました。私も、感染による重症化の危険性のある後期高齢者の仲間入りをしていますので、免疫力については人一倍関心を持たざるを得ません。

以前に研究者をしていた頃には電池に関連した仕事に携わっており、ウィルスやら免疫力なんて、深く考えたこともありませんでした。植物についてもそうでした。ところが、その後、岐阜県内の資源を活用しての地域おこしなどの活動に携わるようになって、先端の科学技術よりもそれらの方に関心の中心がシフトしてきました。技術進歩をもたらした我々人類はたいしたものだと考えていましたが、県内最大の地域資源である森林資源に関連した様々なプロジェクトに触れるにつれて、植物の魅力、人間には持ち合わせていない植物のパワーに改めて驚き、次第に筆者の人生観にも変化が生じました。今回のキーワードはその免疫力と植物パワーです。

森のにおいとは

森林の中に入ると森の匂いがしてきて、誰もがいい気持ち!と叫びます。2018年4月27日放送の「チコちゃんに叱られる」では、一体その香りって何?の問いかけから始まりました。先に結論を言ってしまうと、その正体はフィトンチッドというものです。
 フィトンチッドのフィトンは植物を、チッドは殺すことを意味しています。番組ではフィトンチッドのことを植物が出す毒という言い方をしていました。何に対する毒かというと、カビやら細菌に対するもの。要するに菌に対しての毒というわけです。例えると、森林の中には数多くの動物の死骸があるはずですが、悪臭がしません。これがフィトンチッドのおかげというわけです。私たち動物と違って、自ら動くことのできない植物が長生きするために身につけてきたものと言っても良いでしょう

このフィトンチッドは1930年頃に旧ソ連のトーキン博士によって見いだされました。植物を傷つけると、その周辺の細菌を殺してしまうことを見つけたのが始まりとされています。私も最近になって彼の著書「植物の不思議な力=フィトンチッド」(B.P.トーキン、神山恵三著)を読みましたが、改めて先駆的な研究だったんだと感心しました。その後、いわゆる西洋医学の長足の進歩の影に隠れた感じで、大きく日の目を浴びることはなかったという印象を持っています。しかし、最近は新たな脚光を浴びるようになってきた様に感じます。NHKの看板番組「チコちゃんに叱られる」で取り上げられたのもその証でしょう。

フィトンチッドで免疫力向上

このフィトンチッド、植物にとっては、敵からの攻撃に対して防御するものですが、私たちに対してはどんな効果があるでしょうか。私たちが経験的に知っているのは、いわゆる森林浴として理解していることだろうと思います。気持ちよく感じて、気分すっきりし、あくせくとした生活から抜け出てリラックスした気分になることです。脳の活動が沈静化されてリラックスする効果です。副交感神経が優位になると言われています。昔からヒノキのお風呂などで感じたリラックス効果です。最近は癒やし効果といった方が良いかもしれません。実際に、フィトンチッドを吸引すると、アドレナリンの分泌が低下するという実験データがあるようです。このアドレナリンはストレスがかかると高くなることが知られています。

もう一つ、びっくりすることは免疫力の向上に大きな効果があることなのです。オーバーに言えば、森林の中に入るだけで健康になれることになります。番組ではフィトンチッドがナチュラルキラー細胞(NK細胞)を活性化させ、がん細胞やウィルスを攻撃すると説明されてました。このナチュラルキラー細胞というものは、私たちが体内に保有するもので、これがあって、日々、ウィルスやがん細胞をやっつけてくれるため、普通は病気にかからないのです。ナチュラルキラー細胞の活性が低下すると、免疫力が低下して病気に感染しやすくなります。筆者は10年ほど前から、スギなどから亜臨界抽出法という手法でこのフィトンチッド成分を抽出して、様々な製品に展開されている県内企業の支援をさせてもらっている関係で、フィトンチッドには人並み以上に関心を持っています。最近になって特に免疫力向上にも寄与するということで、いっそう興味が増してきました。
実験データによると、3日間森林にいるだけでナチュラルキラー細胞が56%も増え、それも結構長い期間持続するそうです。このデータには本当にびっくりさせられます。私たちが想像する以上にフィトンチッドは免疫力向上に寄与するわけです。森林浴セラピー、転地療法で山地に出かけるというのも理にかなっている訳です。

自然と健康寿命の関係

我が国ではいろいろと便利な大都会に住みたいと人が多く、地方では過疎化が進んできました。一方では、ストレス社会を逃れて、田舎での生活を望む人も徐々に増えているようです。欧米では森林に囲まれた所に住居を構える人が多いことを私も実感してきました。我が国では森林浴と言って、例えばわざわざ郊外の森林に出かけるという慣習がありますが、欧米では森林浴とわざわざ言わなくても、自然にそういったことを日常的に体験しているのかもしれません。

そういえば、昨秋開催されたぎふの木ネット協議会総会で首都大学東京の星先生が、医療体制が整っている大都会の住民と医療体制が不十分な地方の住民の健康寿命を比較すると、後者の方が長いという研究データを発表されていましたが、フィトンチッドと関係がありそうです。
公園に行くときも、芝生の広場やグランドだけで楽しみがちですが、隣接する森林の中をしばし散策することの方が意味がありそうです。なにしろウィルス対策にもなりますから。こんな素晴らしい木からの贈り物のフィトンチッド成分を抽出して、室内でも楽しめるようにすることも健康住宅のためには大変意義だと思います

どのように取り込まれるのか

さて、空気中に漂うフィトンチッドはどんなメカニズムで体内に取り込まれるのでしょうか。以前に香り成分の自律神経への影響の研究を続けられている岐阜大学の光永先生にお話を伺ったことがあります。

先生のお話によると、二つのメカニズムがあるとのことでした。一つは、フィトンチッドが呼吸によって酸素と同様に血液に入って、NK細胞を活性化するというものです。もう一つは、フィトンチッド成分が嗅覚神経を通って脳に至り、自律神経のバランスを調整して、ストレスホルモンの分泌を抑制するというものです。これによってNK細胞の活性化がもたらされます。

ちなみに光永先生はホワイトサイプレス(オーストラリアのヒノキ)からの抽出された成分(精油)が肥満抑制効果を示すことを動物実験により証明されています。臭いを嗅ぐだけで肥満抑制ができるとは驚きです。森林浴セラピーに関する研究がこれからいっそう注目されるかもしれません

フィトンチッドの中身とは

ところで、そもそもフィトンチッドの中身って一体何でしょう。実は、木はよく言われるセルロース、ヘミセルロース、リグニンの主要成分から成るとされていますが、その他にテルペン類と呼ばれる有機物質などが副成分として含まれており、これらの中の揮発性の成分がフィトンチッドとして蒸散します。フィトンチッドは何か一つの化合物ではありません。様々な物質が含まれたものであり、それらが総合的に私たちのために働いてくれるわけです。例えば、消臭効果を一つとっても、フィトンチッドを構成する特定の成分が特定の悪臭物質と反応して消臭するというのなら、化学の力でそのメカニズムを明らかにできるかもしれませんが、実に多くの有機物質から成るフィトンチッドの場合にはそんなに単純にはいきません。したがって、フィトンチッドの作用メカニズムは未だに良く分からないようです。
 そもそもトーキン博士の発見は、植物を傷つけると、その周辺の細菌を殺してしまうことを見つけたのが始まりということを先に書きました。植物のもつ強い抗菌作用であったわけです。インフルエンザウィルスなどのウィルスに対しても同じように作用するとされており、新型コロナウィルスについてもその効果が実証されることを期待したいものです。

健康住宅の建築

ということで、森林浴が単に心地よさを感ずるというセラピーにとどまらず、私たちの健康作りに最も大切な免疫力の増強に貢献するものであることが分かります。がん細胞の増殖を抑えるNK細胞を増やし、ウィルスに対してもその活性を抑えてしまうものすごい力を有しているのです。したがって、木の家の良さを改めて感じます。基本的に木の家は健康住宅と言えるでしょう。さらに積極的に木の良さを住宅に取り入れる工夫も多くあります。ぎふの木ネット協議会でも、県産材の活用の促進にとどまらず、上記の健康住宅の建築という視点ももっと強調されてもよいのではと考えています。