取材レポート

長屋木工所訪問記

国内唯一の和傘ろくろ職人 長屋さん

雨なのか晴れなのか、暖かいのか寒いのかよくわからない新春1月8日の午後、今や我が国唯一となった和傘ろくろのメーカー(有)長屋鉄工所を訪ねた。

岐南町にある工場の前に車を止めると、エゴノキ(業界ではロクロギと呼ばれる)の天日干しの光景が目に飛び込んできた。長さ2メートルほどに切られた木が束ねて縦置きで乾燥されている。2年ほど天日乾燥するとのことだ。エゴノキはやわらかくて精密加工しやすく、しかも粘りや強度もあり、和傘ロクロにはもっぱらこれが使われているのだ。岐阜県には県森林文化アカデミー関係者を中心に「エゴノキプロジェクト」が動いており、ここにあるのはそこで伐採されたエゴノキなのだ。

工場中に入ると、DR.みのりんとは旧知の長屋一男社長が迎えてくれた。社長と言っても従業員がいるわけではなく、社長一人の会社である。この日は社長の隣には若者が一人。近藤智弥君(32歳)との紹介を受けた。ロクロ製作の技を習得しようと、航空機分野の板金業から見習いとして、最近ここにやってきた期待の星だ。

ロクロ(写真1)というのは和傘の骨を束ねるのに必須な重要な部品で、もちろんこれがないと和傘は作れない。数年前に、このロクロを作るための新しい機械の製作の支援をさせていただいたDr.みのりん。その過程における関係者の苦労が思い出された。この機械は現役ではもちろんオンリーワンのものだ

和傘の「ろくろ」部分

ロクロとは?

ロクロは写真から分かるように、短冊状になっている。その短冊1枚1枚に糸を通す小さな孔が規則的に開けられている。目切り機と呼ぶ機械が短冊状に切り口をつけると同時に、小さな孔を開けてゆくという精密な機械である。このロクロ製作に使う工具も自分で作るしかないというまさに職人芸のせかいなのだ。この日も円柱状のエゴノキからロクロを製作する実演をしてもらったが(写真2)、何度見ても感心することしきりである。

日本の伝統文化 和傘づくり

以前は日本の伝統文化として、地場産業として岐阜で栄えた和傘業界。もちろんロクロのメーカーも多く存在していた。和傘市場が縮小するにつれて、ロクロメーカーもだんだん減り、気づいたら全国でここ長屋木工所だけになっていたようだ。長屋社長は、ロクロづくりにいのちをかけてきたとお見受けするがと聞いてみると、そんな大げさなことではないが、気づいたら自分が全国でタダ一人のロクロづくりの職人になってしまったまでだと。オンリーワンになってもがんばる長屋さんにそのあたりの気持ちを改めて尋ねると、自分では不本意だとおっしゃる。40年以上にわたってこれしか作っていなかったし、それしか作れないからそういう意味では馬鹿なんでしょうねと。あちこちに同業者がいた頃とは違って、自分の商品を評価してくれる人がいなくなったため、自分の商品が良いのか悪いのかも分からなくなった寂しさもあると。そう言われればなるほどそうかと思うが、そういう心境になってみないと分からないものだと感じた。

和傘はいくつかの工程を経て作られ、それぞれが職人の分業で成り立ってきた。そのいずれの工程においても職人が減ってきた。和傘屋はどこも赤字ということは分かっているから、ロクロの価格を高くして自分だけ儲けようとするわけにもいかずという縮小してきた和傘業界の現状に改めて心痛める。

岐阜和傘協会の誕生

この日70歳の誕生日を迎えた長屋さん、この後いくらがんばっても5年、ロクロづくりの職人芸を継承してもらう期間を考えると、後継者養成は一刻の猶予も許されないと語る長屋さんの一言一言にうなずく近藤さんの顔がやけに印象に残った。生き物で言えば“絶滅危惧種“となったこの機械、職人の技。絶滅をギリギリのところで食い止められるかどうかはひとえにこの会社が握っている。

なお、この後の1月13日には一般社団法人「岐阜和傘協会」が設立され、後継者育成と岐阜和傘のブランド化に向けて新たな取り組みが始まることになり、今回の訪問は時宜にかなったものだったと自負している。

岐阜新聞記事  2020年1月14日

https://www.gifu-np.co.jp/news/20200114/20200114-206357.html