取材レポート

岐阜県森林文化アカデミーの見学

森林文化アカデミーのアジサイ
森林文化アカデミーのアジサイロード

やはり持ってるみのりん、偶然に元副学長と遭遇

梅雨真っ最中。だが、今回もなぜか晴天の中を岐阜県立森林文化アカデミーへ向かう。例によって余裕をもって到着したため、キビタキのさえずりを楽しみながら、キャンパス道路に沿って美しく咲き誇るアジサイの花の撮影を始めた。すると、通りすがりの車の中からDR.みのりんを呼ぶ大きな声。かねてから一度会いたいと念願していたここの前副学長の川尻秀樹さんだった。やはりDR.みのりんは何かをもっていると、好スタートにルンルンだ。

川尻さんと偶然の遭遇
元副学部長川尻さんに遭遇
アジサイ
川尻さんと記念撮影

なぜか学長室へ

副学長の長沼さんの計らいで、面談には学長室をお借りすることになる。ここの学長は、「サンデーモーニング」などに出演のあの涌井史郎氏。あいにくこの日はご不在だった。すべて木でできた建物、調度品、ここの学生さん達手作りの家具などに思わず見入ってしまう。

森についての勉強タイム

ここで産官学連携係長の下通さんら3名からこの施設の説明を受ける。ここは常勤の教員17人で学生数は2学年80名。実に贅沢な教育環境だ。緊縮財政の岐阜県がよく面倒を見てくれるものだねと素人質問をぶつけてみる。当然ながらここを卒業して岐阜県の林業関係に従事してくれることを期待しての配慮だ。森林関係の県立教育機関は他県にもあるが、「文化」が入っているのはここだけとのことで、伝統文化の視点も含んだ誇り高きアカデミーなのだ。県外からの入学生も多く、6割程度を占めるという。彼らを含めて県内の林業に就職する卒業生は半数を占めるそうだ。

ここはそもそも林業全般に関する教育機関である。したがって、面談は林業全体についての話が中心である。

林業は木の苗を植え、育て、木材として収穫すること。しかし育てるなんて一口に言っても、野菜などと違って途方もない年月を要するのだ。言ってしまえば、収穫は自分の世代ではなく、次世代なのである。工学部で仕事をしたDR.みのりんにとっては、時間のスパンのイメージを変えないと実感がわかない。結果が早く欲しい現代の世の中にあって、従事する人のモチベーションはどうやって保たれるのだろうと不思議でしかたない。木との付き合いは人生論を変えてしまうのではないかと感ずる。

植えて育てるとは言っても、田んぼで田起こしや代かきを行うように、まず地ごしらえをしてから植え付けを行うが、倒木や枝葉などはあるし、斜面だしというわけで田植えのようには到底いかない。

さらに、植えたのはいいが、近辺に生えている草に負けてしまっては何にもならない。だから、それら雑草を刈らねばならないのだ(下刈り)。最近は若くて美味しい新芽を狙ってシカがやってくる様で、これの対策も大変だ。この下刈りは遮るものがない日照りの中、山の斜面をコツコツと自分の手でやらねばならない。これが想像以上にハードで、これをやりきれるかどうかが、林業を続けられるかどうかの大きなハードルだそうだ。実際のデータによると、林業の経費の中で、地ごしらえと下刈りの経費が6割を占めるという。逆に言えば、この作業の工夫により経費を大きく下げうるということになるが、このあたりは知恵の絞りどころだろう。

下刈りの後には雑木や曲がった木などの不良品を除く除伐、上質な木に育てるための枝打ちと作業が続く。そして間伐となる。

間伐というといわゆる間引きであるが、これにも2種類ある。切り捨て間伐と言われるものと伐採した木を出荷する利用間伐である。切り捨て間伐では山にひとまず置かれるが、大雨時にたびたび問題となる倒木による流木。山に木を重ねて放置するとこうなるが、地面に接触させて放置するのが必要。こうして朽ちやすくすると共に、大雨でも流出がかなり防がれるようだ。

こういった林業は危険もあり、死亡事故も60人/年に上るという。

こうして巣十年にわたる手間をかけてようやく収穫を迎える。うまく育った木を木材としてチェーンソーで伐倒するわけである。この伐倒木に枝払い、玉切りをして、めでたく山を出ることになる。先代が魂を込めて植えた苗がめでたく門出を迎えたわけだ。

間伐作業では補助金の占める割合が高いが、皆伐では補助金は一切無い。考えてみれば当たり前のこと、収穫するのに補助金はあり得ないのだ。だから皆伐には二の足を踏む傾向にある。伐倒適期を過ぎて育ちすぎになった木も多い現状はそれを反映しているようだ。

森林文化アカデミーでは、いたるところに学生が手掛けた建造物がある。まさに自然のフィールドで自由な発想のもとに創り出されるアート空間である。(写真は森港灯台と名付けられた学生達のの制作物)

面談の前にちょっと野鳥観察を