今も町中で魅せる「飛騨の匠」の技術
”飛騨の匠”というと岐阜県に住んでいれば一度は耳にしたことがあるかと思います。
今でも腕が高い大工職人は 飛騨地方に多いといわれます。
その飛騨の職人はなぜ”飛騨の匠”と呼ばれるようになったかというと、実に今から1300年前までさかのぼります。
奈良時代。
大化の改新によって、税制が確立し、飛騨では税を納める代わりに都に出向き寺社仏閣を造設する大工仕事が課せられていました。
そこで飛騨の大工が活躍し、その技術の高さが認められ「飛騨の匠」と呼ばれたのがはじまりです。
世界遺産を築き上げる
世界文化遺産に認定されている「古都奈良の文化財」には東大寺・興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺・春日山原始林・平城京の8つで構成されていますが、その中の東大寺・興福寺・薬師寺・ 唐招提寺・ 平城京の5つで飛騨の匠の技を見ることができます。
もちろんそれ以外の寺社仏閣でも飛騨の職人が関わった建物はあるのですが、世界文化遺産に登録されるような建物を作り上げ、またその建物が現存しているというのは匠の技術があったからともいえるのではないでしょうか。
町中で魅せられる「雲」とは
ただなにも奈良県まで見に行かなくても、その匠の面影を実は飛騨の町中を見上げるだけで感じることができます。
上の写真は古川の町で建てられた住宅の「雲」がどのような加工になっているか分かるマップです。
「雲」というのは、軒を支える腕木、それ(腕木)を支える肘木、のことを指しています。
軒下をのぞけば見ることができます。
この「雲」には様々な模様が掘ってあり、古川の町中だけで実に170通りあるそうです。
これはその家を建てた大工さんの模様で、その模様を見れば誰が建てたか分かるのです。
170通りあるので、少なくとも170名の大工さんがこの街にはいたということになります。
また模様がかぶらないよう新しい大工さんはさらに凝った彫りにしていくので、町中を歩いてみれば見るほどでその存在感が伝わります。
匠の技「千鳥格子」に触れる
ただ匠の技術は目に見える所だけでなく、住宅の目に見えない部分での継ぎ手や木組などにも織り込まれています。
構造などは簡単に見れるものではないですし、見てもその仕組みをすぐに理解することは、なかなか難しいのですが、その一つ。
有名な木組として「千鳥格子」というものがあります。
千鳥格子は、角材に加工が施され組まれています。もちろん釘や接着剤を使わずに。
そして単純には外せないようになっています。
上 が格子になっている図。
外すときは水平方向の真ん中の角材を持ち、垂直方向の真ん中の角材を抜くと外れるという仕組みになっています。
下 が外したあとの図。
同じ形に彫られた角材ですが、一番奥の一つだけくぼみが厚いのが分かるでしょうか。
これが外すときに一番最初に抜く一本です。これ以外は同じ形をしており、組み合わせるだけで格子にすることができます。
これは一番分かりやすいほんの一例ですが、このように釘、ボルト、接着剤などを使わず、木を加工する技術を活かし昔は住宅や寺社仏閣を建てあげたというのは今考えても素晴らしい技術であると感心してしまいますよね。
古川の町並みを歩く際は、ぜひ少し上を見上げて技術の象徴ともいえる「雲」を眺めながら散策するのもいいかもしれません。