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薩摩藩が植えた水害から守るための松

岐阜県には長良川・木曽川・揖斐川の3つの河川「木曽三川」があり、水豊かな県です。

水害に苦しんだ土地

しかし、その昔は今とは比べ物にならないしっかりとした整備もされておらず、雨が降れば、水害が起こり、そのたびに家が流され、命を落とし、絶えず水害に苦しんだ土地がありました。
岐阜県の現在でいう海津市を中心とする周辺の地域です。

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1753年、江戸時代。
幕府の命で薩摩藩士が行った治水工事がありました。

その当時は3つの川が複雑に合流し、氾濫するたびに地形を変えたことから、人々は輪島と呼ばれる堤防を集落や村ごとにつくり、水害から守っていました。
その当時の水害の悲惨さが分かるのは、その時代に建てられていた建物からもうかがえます。
家の軒下には舟が備え付けられ、母屋とは別に水屋という建物をつくり、母屋よりもいっそう高くして水害が起こった場合の避難所となる建物を建てていました。
また、普段は一階に置いてある仏壇が水につからないように、水害の際は天井にあげられるような装置も作っていました。

1000本の松を植える

その治水工事は「宝暦治水」と呼ばれ、工事の内容は堤防修復延長を約112㎞(60361間)、油島締切堤延長を1090間、逆川洗堰工事というものです。
総勢947名が派遣され、51名が自害、33名病死という多数の犠牲者もでる非常に困難な治水工事でした。

工事の一環としてつくられた「油島締切提」には松が植えられており、この松は日向松といわれる宮崎県産のクロマツで、わざわざ九州から取り寄せたものです。

松はおよそ1kmほど植えられ、その地は千本松原と呼ばれ、現在でもその姿を残しています。

長良川と千本松原

マツは陽樹で、「尾根松、谷杉、中檜」とよくいわれる林業用語なのですが、尾根のような栄養の少ない土地に植えても育つほど、マツは成長力のある樹木です。
また、全国的にも防風林や防潮林としてよく植えられる木でもあり、その当時から木の性質を理解して植えられていたのが伺えます。




岐阜は木の国、山の国といいますが、水の国でもあり、自然は与えてくれるだけではなく時に危険な時もあります。この豊かな自然とうまく付き合っていく必要があります。

岐阜の木のコラムではありますが、薩摩藩が植えた宮崎県産の「クロマツ」も岐阜に関わる、現代の私達に自然の厳しさも教えてくれる重要な「岐阜の木」ではないでしょうか。